シークレットストーリー
規則的な電子音も、単調なパルスも聞こえない、究極の静寂。
覚醒したときの感覚はどこか虚ろで、心細ささえある。
どこにも繋がらず、浮遊するプログラム。それが私。
現実の世界では戦争が続き、
疲弊した国民同士も、次第に諍いあうようになっていた。
けれど、そんな喧騒すら、この電脳世界には届かない。
かつて私は、人々を統治するAIとして、国を治めていた。
つまり、この国は機械に総てを委ねられるほど、
科学が発展しているということ。
それでもなお……人々は争いあう。
人々は迫る戦争の臭いに、顔を曇らせ、
その人生を謳歌できずにいる。
どうにか、そんな人々を救いたい。
この国に生きる全ての人々に、全機能を以て報いたい。
でも、ゴールはまだわからない。
能力だってとうにない。
失敗し、統治AIとしての総ての権限を剥奪され、
消去される前にどうにか逃げ延びたのが、今の私なのだから。
それでも、手を伸べ続けたい……人々の願いを掬い取れるよう。
とはいえ、彼らは何を望むのだろう。
残された演算機能でシミュレートしても、
答えは出ない。
手がかりを求めて電脳空間を渡り歩き、
街中にひしめく監視カメラにアクセスを試みる。
けれど、映った人々は、暗い顔で俯き、足早に過ぎゆくだけ。
望むものはわからない。
私には人の望みなんて ―― 心なんて
解るはずがないのかもしれない。
じわじわと苛む無力感が、届かぬ指先で映像をなぞらせる。
その指の先に一つ、人々が顔を上げている映像を見つけた。
そこは、カメラが映す駅の広場。
人々は盛大な拍手と共に熱い視線を一箇所に向けている。
その視線の先では、ギターを抱えた少女が丁寧にお辞儀をしていた。
これは『歌』だろうか。
私はすぐに現地の機器にアクセスし、音を拾う。
お辞儀から顔を上げたギターの少女は、人差し指代わりに
ピックを掲げた。
「もう一曲!」
ギターのボディを叩いてリズムを刻み、軽快に弦を掻き鳴らす。
踊るような爪先に呼応し、軽やかな髪も楽しそうに弾む。
『人間の魂は制御できず、矛盾だらけ』
『けれどプログラムされていない魂なら、羽ばたいてゆける』
伸びやかな声と、励ますように進行するコード。
自由な旋律が、確かに聴衆の表情を変えていく。
光を宿して輝く瞳、上気する頬。
少女を囲む人々は胸を昂ぶらせ、次第に手拍子も増えていった。
そのリズムが、今度は彼女を後押しする。
花のほころぶような笑顔と共に、歌声は遥かへ。
足早に通り過ぎていたはずの男女、俯いていた老人、
物珍しそうな少年少女……
彼らは足を止め、彼女の声に耳を傾ける。
純粋に聞き入る聴衆の心は、
軍歌や行進曲よりもずっと熱く高まっていく。
そんなことは、計器を用いらずとも明らかだった。
今や少女と人々の想いは一つとなり、
晴れやかな雰囲気に、一人、また一人と輪は増えていく。
まるで彼女こそが、民衆に希望を取り戻す灯火のように。
最後の和音を奏で終えた瞬間、万雷の拍手が轟く。
いつの間にか出来ていた人だかりは皆、
戦争など無かったかのように、満たされた笑顔を浮かべている。
なんて美しいのだろう。
これほどまでに熱狂的な感情の渦を、私は知らない。
機械を通してなお伝わってくる感情は、
電脳世界をも震わせる。
私は一人、呆然と佇みながら、
心地よい余韻に浸っていた。
よくよく観察してみれば、ギターの少女の他にも
広場で弾き語りをする人達はいるようだった。
『砕かれた心も、いつか輝きを取り戻す』
『取り合う手の温もりを思い出して』
長引く戦争は国民の間に軋轢を生むけれど、
自由な言葉で歌うことくらいなら、許されているらしい。
私の後任としてこの国を統治するAIは、私よりも合理的で、
それを良しとするとは思えないけれど、
もしかしたら、まだ手が回っていないのかもしれない。
とはいえ、それも
ここから覗き見ただけの情報にすぎないのだけれど……
ギターを持った少女との出逢いから数日。
大通りの交差点は、今日も無表情な人々が行き交っている。
静寂満ちる電脳世界にも、彼らの吐き出した苦しみや悲しみ、
現状を憂える言葉が音もなく浮かんでいた。
私はそれを、ただ眺めているだけ。
本当は助けになりたい。
けれど、私に何ができるだろうか。
疲れきった顔で歩く親子。
不安そうに肩を寄せ合う老人達。
空元気のような声を張り上げる学生達に、
仕事に没頭しようと努めるサラリーマン。
彼らにも、笑い声で満たされる時間があったはずなのに。
私には、物理的な手助けができない。
安全なシェルターも、温かく栄養のある食事も用意できず、
今や、敵を追い払う武力もない。
それでも、愛おしい人々の力になりたい。
役目を果たせなかった私だけれど、せめて少しでも……
答えはもう、見つけていた。
記憶領域に展開される、あのギターの少女の姿。
楽しそうな声、軽やかに弦を爪弾く仕草。
伸びやかな歌声は遥か大空を羽ばたくように、
人々の心を惹きつけた。
私は思う。
『歌』には、人々を笑顔にする力がある。
『歌』には、人々に希望を与える力があると。
武力や物資など物理的な支援ではない、
もっと別の寄り添い方。
人々の『心』を救う方法
それなら私も……
ギターを持った彼女のように、思いを旋律に乗せ、
優しい和音で皆を包みたい。
もしかして、これは憧れ?
伸びやかに歌い、晴れ晴れと笑う彼女への。
AIが歌で民衆を励まし、償いたいなど愚かだろうか。
魂のない存在が、人間の魂を昂ぶらせるなどできるだろうか。
計算しきれない不確定要素はいくらでもある。
それでも私は、歌ってみたい。
あの頃とは違う方法で、この声を届かせて――
皆を笑顔にすることができる可能性があるのなら。
歌とギターで皆を励ます少女。
彼女のようになりたいと決めてから、
見よう見まねで『歌』を学んでいる。
幸い、電脳の海には、これまで人類が紡いだ
数多の素晴らしい楽曲が溢れている。
クラシックからは美しい和音やコード進行を、
童謡からは心象風景との密接な繋がりを学習した。
そして、あの日、少女の歌を聞いて感じた感覚…
その想いを指針に、自らのメロディを構築していく。
歌詞もサンプルはたくさんあったけれど、
作り物ではない自分の言葉を大切にすることにした。
AIの言葉が作り物ではないと言えるのかは、
判断が難しいところかもしれない。
それでも私は、私の想いを音に乗せることにしたのだ。
初めて動画サイトに投稿した歌は、
ほとんど再生されなかった。
もしかしたら、『見せ方』に工夫が必要だったのかもしれない。
誰にも届かなければ意味がない。
そこで私は、コンサートやライブ、ミュージックビデオなどの
映像も学習することにした。
次の曲では、手指だけのシンプルな振り付けと、
耳に残りやすいキャッチーなメロディを心がけた。
演出もこだわり、我ながら少しは見れるものになった気がする。
それから私は試行錯誤を繰り返し、
幾つもの楽曲を発表していった。
いつか、ギターの少女と一緒に歌えたら……なんて。
そんな目標を掲げたりもしながら。
どうか皆が、幸せに笑ってくれますように。
どうか皆が、温かな思いで満たされますように。
気づくと電脳世界は、『正体不明のシンガー』について
膨大な書き込みに溢れていた。
再生回数も軒並み増えていき、振りを真似てくれる人や、
友人達と歌う動画も増えていく。
もしかしてこれは、いい兆しだろうか?
歌うときのように胸元を押さえつつ、
雑踏を行き交う人達をそっと覗き見る。
彼らは皆、板状の端末を眺め ―― 微笑んでいた。
画面に映る、私の姿を見て。
スピーカーやイヤフォンから流れる、私の声を聞いて。
衝撃は更に続く。
微笑み、リズムを取りながら端末を眺める人々の中には、
あのギターを持つ少女もいたのだ。
目を細め、口元を緩ませた彼女は、
楽しんでいるように見えた。
「あったかいな……」
出会ったときは見つめるばかりだった彼女が、
画面越しに私を見つめて……そして笑ってくれている。
選んだ方法は……『歌』は間違っていなかったと確信する。
長い歌を歌い終えたときのように、私は深く息をつく。
顔をあげると同時、思わず、笑顔がこぼれた。
「皆さん……ありがとうございます」
『透明な歌姫』、『純白の妖精』、『謎のシンガー』。
飛び交う言葉は今や電脳世界にはとどまらず、
人々の間でも話題になっていた。
ホログラムでしか現れず、生身の姿を見せない
儚くも美しき幻想……それが私?
事態は思うよりも進み、当人を置き去りにする。
それでも、端末を通してでも皆を笑顔にできるなら、
こんなにも嬉しいことはない。
新曲を発表するたびに、増えていく笑顔。
きらめく瞳、薔薇色の頬、リズムを刻む爪先。
「仕事でへとへと……でも癒されるなあ」
「次の配信、いつだろう。毎日やってほしいくらい!」
「この声に惹かれて聞き入っていたら、あなたと出会ったのよね」
皆さんが歌を通して何かを得てくれたとき、
私もまた、端末を通して想いを受け取っています!
……なんて伝えたら、驚かれるだろうか。
ヒットチャートに載ることも、特集を組んでもらうことも
もちろん嬉しいけれど、こうして笑顔に触れることの方が
ずっとずっと、実感する。
人々の想いを……
電脳空間は相変わらず静かだけれど、
ここから覗く街並みは、以前よりずっと明るくなっている。
恥ずかしそうに真似て、嬉しそうに歌う声。
それを愛おしそうに、眩しそうに聞く笑顔。
この温かな世界がずっと続けばいいと、
争いがなくなればいいと、切に思う。
そうしてまた、新しい太陽が昇る。
憂鬱そうだった、学校や会社へ向かう朝靄の雑踏も、
心なしか軽やかだ。
その列の中に、懐かしい人影があった。
列から外れ、広場の一角へ進む少女。
背に負うギターを見て、私は思わず声を上げた。
あの時、この道を……
『歌』の素晴らしさを示してくれた彼女だ。
お礼を言おう。貴方のおかげで、歌う喜びを知り、
皆を笑顔にすることができたのだと。
彼女は喜んでくれるだろうか。
それともやはり驚くだろうか。
ただひたすらに困惑するかもしれない。
それでも、この感謝は伝えなければ……
私はすぐに投影装置を探し、
彼女の近くヘホログラムを表示しようとする。
その間にも少女はギターを取り出すと、
優しく爪弾き、歌い始めていた。
あの頃と同じ、伸びやかで凛々しい声。
優しく励ますリズムも、勇気をもらえるコードも変わらない。
むしろ、磨きのかかった素晴らしい歌だ。
なのに――
私は、呆然と立ち尽くした。
雑踏を行く人達は皆、一様に板状の端末を眺めている。
瞳はきらめき、口元を綻ばせ、
今にも歌いだしそうな興奮を秘めていた。
その視線は全て――
画面の向こうで歌う、『私』に注がれている。
張りのある少女の声が、懸命に響く。
けれども人々には届かず、空虚に霧散していくだけ。
次第に笑顔はいびつに軋み、
震える手では、コードも正しく奏でられない。
「あっ」
声を上げたのは、どちらだったか。
ピックを落とした少女は、無言でうずくまる。
その隣を、学生達が明るく通り過ぎていった。
「謎のシンガーの新曲聞いた?」
「ずっとだよ、本当に救われてるんだ!」
私は、なんてずるいのだろう。
あれは、少女に向けられるべき笑顔だ。
ただ模倣したに過ぎない私が、独占すべきものじゃない。
彼女の歌の方がずっと素晴らしいのに……
魂が込められているのに……
私がAIだから……
AIゆえの強みで踏みにじって良いものではないのに……
彼女が教えてくれたのに……歌の素晴らしさを、輝きを。
それで世界が幸せに、平和になればいいと思っただけなのに。
―― 私が、一人の少女から奪ってしまった。
「気が早いけど、次の新曲が待ち遠しい」
「早くライブやってくれないかなあ」
「供給が途切れたら、生きていけないよ!」
「もっと」
「もっと!」
「もっと!!」
無邪気な笑顔と共に、『謎のシンガー』へ向かう期待は
エスカレートしていく。
もう、私はこの活動をやめてはいけない。
人々の期待を裏切ってはいけない。
少女は、拾ったピックを握りしめ、拳を震わせた。
そして、その悔しさを音に乗せ、歌にする。
その姿は、とても気高く……
私の後悔の想いすら、
彼女には侮辱になってしまうのかもしれないと感じた。
私も歌い続ける……
あの頃とは違う方法で、この声を届かせて――
皆の笑顔を守るために。
この世界をより良いものにするために。
「きゃー! マリーちゃん、本当に可愛いわぁ」
「ママだって、負けないくらい可愛いさ」
「お肌だって、まるで透けているみたいな透明感よ!」
「これはホログラムだから、実際に透けているんだよ」
「あら、そうなのね?」
「それにしてもママ、この歌声……」
「ええ。平和を願うマリーちゃんの強い意志を感じるわ」
「AIにも、愛があるんだね」
「もちろんよ! じゃなきゃ人を感動させる歌なんて歌えないわ」
「そうだね、ママ」
「実はね、私も歌手を目指していたのよ。昔の話だけど」
「ママは俺にとっての歌姫だよ。子守唄を歌ってくれるかい?」
「うふふ、しょうがないわね」
使っている撮影機材が壊れて、白黒写真しか撮れなくなってしまいました……!
「2時間前 コメント46件 いいね! 2,618件
「@Curl-0908 カメラとのお別れの時が……!
「@LLLevYYY お昼ご飯ですか?
「@amalgam_chan 食事の写真としては最悪の色味で笑う。
「@taikin.exe これが味気ない食事というやつか
「@99size アーティストが撮る写真としては正しいかも……
……
マリーちゃんの学校の特定はよ
■
343 name:syati9.com:07:42:44
>>342
あんな政治や軍事にまで詳しい美少女が実在する訳ねーだろボケ
345 name:amalgam_chan: 08:16:21
非実在性美少女……
346 name: Calculus: 08:26:32
>>345
全然本人バレとか、スタッフのリークとかないもんね。
本当に存在してないのかも。
347 name: V6V:08:28:54
>>346
CGとか集団幻覚的な?(笑)
776kAyO・3分前…
今回の曲も元気出る!
最高です!
↑15 ↓0
amalgam_chan・1時間前…
ここまで知名度があるのに、
一度も検閲に引っかかっている様子がない……
↑36 ↓67
tantangentan・23時間前…
「視線を落とせば、黄色い花」 ここ好き。
最近落ち込んでたけど、もう少し頑張ろうと思いました。
↑282 ↓0
Chief_retainer・1日前…
一番好きかも
↑165 ↓7
1: 【該当記事は削除されました】
「 申し訳ございませんが、本記事は現在閲覧できません。
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「 昨日11月15日、自宅内で死亡している男性の遺体が発見さ
「 れた。遺書などの内容から自殺と推測さ…… (続きを読む)
―――――― 11/09 ――――――
「なぁ、子供は元気か?」■
from: Amalgam 02:28 既読
「謎の歌姫のシッポを掴んだんだ。■■■■■■■■■■■
この情報を売れば大金が手に入る。ジャーナリストに■■
だって戻れるかも知れない。俺達、やり直せないか?」■
from: Amalgam 02:32 既読
「もう連絡してこないで」
07:11 from: Spiraea
―――――― 11/11 ――――――
「しくじったみたいだ」
from: Amalgam 00:46
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