太陽と月の物語
月ノ壱:宵闇の章『結びの魔法』
魔法使い達の『学舎』に連れてこられた、くせ毛の少女。彼女はその日、広間で泣いている眼鏡の少女と出会う。意地悪な男子にパンをとられたと聞き、強気な態度で取り返しに向かう。だが、彼女の魔法では力不足だった。男子に迫られる少女を救ったのは、ツンツン頭の少年。彼は見事に魔法を使いこなし、意地悪な男子を退散させる。「自分一人でなんとかできた」と不満そうに言う少女だったが、少年はそれよりもご飯だと、広間へと戻っていく。
三人は共に食事をし、友人となった。家族と引き剥がされて連れてこられた学舎。不安ばかりだった彼女達にとって、それは幼く温かな家族の団らんのようであった。
時が経ち、少しだけ大人になった少女達に知らされた「契約の日」。それは、心の通じ合うふたりがツガイとなり、互いに『誓いの輪』を交換する魔法使いの儀式。教師から説明を聞いた生徒達は色めき立ち、各々行動を開始する。
くせ毛の少女は、数人の男子達に言い寄られるも「眼中にない」と一蹴した。男子達をふった少女をツンツン頭の少年がからかい、その様子に眼鏡の少女が微笑む。幼い日のパンの事件をきっかけに、三人は親友となっていたのだ。次の授業の前、くせ毛の少女は眼鏡の親友に、親友の少年をどう思っているのかと問いかけるが、言葉を濁されてしまう。
契約の日が近づき、魔法使い達の街は祭りで賑わっていた。くせ毛の少女も、今日ばかりは興奮を抑えきれずにはしゃいでいる。親友三人で祭りを回っていたが、眼鏡の親友が用事を理由に帰ってしまい、不意に少年とふたりきりになってしまった。想いを寄せる彼と、ぎこちなくも祭りを巡り続ける少女。帰り際に少女は、意を決して自らの気持ちを少年に打ち明けた。しかし、彼の答えは「眼鏡の少女と契約をする」というものだった……
想いを断られ一人佇む少女の前に、眼鏡の少女が現れる。親友なのに「契約」のことを隠していたことを責め立てる少女。眼鏡の親友の口から出た言葉は、くせ毛の少女への想いの告白だった。
三人の親友達の想いは交差していた。その事実を受け入れられなかったくせ毛の少女は、秘密を隠していた親友達に「ふたりとも消えちゃえばいい」と言い放ってしまった。
そして訪れた、契約の日。ツガイとなる生徒達が呼ばれる中、親友二人が現れないことを不思議に思い、学舎の中を探し回る少女。
その末に彼女が見つけたのは、少年の死体。そして、眼鏡の少女は行方不明になっていた。少年の葬儀が行われる中、自分の言葉が現実になってしまったことを少女は後悔し、思い悩む。
「私は……あの子を……探さなくちゃ……」
月ノ弐:暮夜の章『綻びの呪い』
死者がひとり、失踪者がひとり出た、魔法使いの学舎での事件。その街からほど近い場所に、霧の立ち込める深い森があった。『それ』は来訪者を監視するような異様な空気に包まれながら、森の奥深くにある遺跡へと向かう。遺跡にあったのは、一枚の古びた鏡。『それ』は、鏡に映る己の醜い姿を隠すために白い布を被る……
だが、鏡には己の醜い姿が映り続けていた。その姿は黒い影となり、嘲るような笑い声をあげる。影は『それ』のことを、人の理を外れた獣……『獣人』と呼び、その全てを知っているかのように取引を持ちかける。「俺の望みを叶えてくれたら、お前の望みを叶えてやる」と。獣人はそれに対し『ニンゲン』になるためならなんでもする、と答えた。
黒い影と取引を交わした獣人は、魔法使いたちの住む街にいた。真夜中の、静寂に包まれた街。建物の窓の向こうには、安心して眠る人々。獣人が形容しがたい気持ちで周囲を眺めていると、あのネバネバした声とともに黒い影が窓に映りこむ。「やることはわかっているだろうな?」と問いかける影に、獣人は行動で応えた。ベンチ、樽、窓ガラス……見えるものを全て破壊する獣人を見て、影は喜ぶ。怒り、悲しみ、憎しみこそが彼の楽しみだった。
騒ぎによって起きた人間を恐れた獣人は、街から逃げるように去る。森の奥へと向かった獣人が、鏡の前で「早くニンゲンにしてくれ」と急かすと、黒い影は最後の取引を持ち掛けてきた。黒い影の望み、それは……魔法使い百人の、命。
いつになく禍々しい気配の森を、獣人は歩く。体ほどもある大きな麻袋を引きずりながら。その中には魔法使いの死体、九十九人目の犠牲者が入っていた。黒い影が歓喜の声を上げると、鏡から溢れ出す憎しみが獣人の体に流れ込んでゆく。心に、いくつもの記憶が明滅する。かつて人を愛した記憶。人を憎んだ記憶。後悔と拒否と、痛みの記憶……獣人が混濁した意識から目覚めると、目の前に魔法使いの少女が立っていた。黒い影は百人目を殺せとわめくが、獣人はその声に抗う。何故なら、彼女はかつて獣人が人間だったころからの想い人、『くせ毛の少女』だったのだ……
獣人は己の心境を吐露する。その声を聞いた少女もまた、目の前の異形こそが探していた『眼鏡の少女』なのだと気付いたのだった。
くせ毛の少女と獣人は言葉を交わした。ふたりの『親友』だった少年を殺したのは眼鏡の少女。少年の行動が原因だということもわかった。しかしその告白を聞いても、くせ毛の少女は親友を手にかけた彼女を許せなかった。敵意を向けるくせ毛の少女と、憎しみに囚われた獣人との戦い。それはくせ毛の少女が倒れるまで続いた。とどめを刺す寸前に理性を取り戻した獣人は、膝をつく少女に手を差し伸べる。しかし、くせ毛の少女は自分を責め、己の胸に杖を突き立て自死してしまう。獣人は泣き叫び、鏡に縋りついて救いを求めた。だが、取引を持ち掛けた黒い影は二度と現れない。黒い影に願いを叶える力などなかった。それは、己の憎悪と復讐を正当化するために見ていた幻だったのだ。全てが終わった今、彼女に残ったのは、果てしない虚無……
月ノ参:暁天の章『一つの誓い』
科学技術が発達したどこかの世界。そのライブ会場で、とある人気シンガーの新曲が発表されていた。素性のわからない、どこがプロデュースしているのかもわからない少女は人気を博し、彼女の透き通った歌声は人々に日々の生活を忘れさせた。戦争の続くこの時代に、少女の歌は民衆の救いとなっていたのだ。しかしライブの最中、騒動が起こる。観客への感謝を述べる少女のもとに現れたのは、彼女をよく思わないものたち。戦時下での活動が気に喰わないのか、彼らは罵声を浴びせながら少女に詰め寄る。それに気圧されるように、少女は姿を消してしまった。
彼女のいた場所に残される「ログアウト」の表示……彼女はVR上のSNSにだけ現れる、電子の歌姫だった。
その国は人工知能によって統治され発展している。首都の大都市は夜でも明るい。しかし明るいのは照明ばかりで、そこに人々の笑顔はなかった。騒動以来、活動を休止している少女は、ため息をつきながら街を歩く。見かけるのは武装した軍人やドローン、監視カメラ。言い争う人々、徴兵される市民。数年に亘る戦争は国内にも諍いを生んでいた。少女が歌い始めたのは、かつて確かに存在した彼らの笑顔を取り戻したかったからだ。しかし彼女の人気が高まれば、それに比例して非難する人も増えていく。ついには実力行使に出ようとする者が現れるまでに。
自分が新たな諍いを生んでしまったことが少女の想いに陰を落としている。果たして自分がやってきたことに、意味はあったのだろうかと。
少女は活動を続けるべきかどうか悩み続けていた。人々に笑ってもらうために始めた活動。しかし自身の歌が誰かを傷つけてしまうのならば……少女は思う。どこで間違えたのだろうか。人々に笑顔を取り戻すために、自分は何をするのが正しかったのか。彼女を突き動かしていた祈りは、彼女自身の迷いによって瞳とともに暗く濁っていった。
そんなとき少女はメールの通知に気づく。受信箱には数えきれないほどの励まし、あるいは非難のメッセージ。中でも彼女の心を動かしたのは、元軍人からのメッセージだった。戦えなくなった今でも自分にできることをしたい。少女の歌がそう思わせてくれたという。綴られた言葉が、忘れかけていた大切なものへの想いを、彼女に思い出させたのだった。
夜の都市に異変が起きた。モニターやホログラムに映し出される少女の姿、それは騒めく人々の前で歌い始める。街々に、戦場に響く祈りの旋律。音楽に包まれた都市の中には、少女を応援する人も、罵声を浴びせる人もいた。そして、激しくも繊細に歌う少女を見つめる彼らの背後に、人知れず光が瞬く。歌っているはずの少女の姿がそこにあった。彼女は街の様子を確かめるように歩き出す。応援してくれる人のためだけではない。全ての人のために歌うのだと、歌を通じて示しながら。人々の涙をぬぐい、心に寄り添う。かつての誓いを思い返しながら、少女は口にした。「私は歌い続ける――」
陽ノ肆:朝暉『零の証明』
人工知能が治めるまでに科学の発展した国。その国は戦争のさなかにあった。かつて人が住んでいた市街地は廃墟さなかにあった。そこで戦闘が起きている。兵士たちを率いるのは一人の少女。場違いなその姿は、飛び交う銃弾の中を悠然と歩んでいく。彼女は敵の配置と、占拠された廃墟の構造を調べ上げ、兵士たちに的確な指示を出していった。
少女の采配により、彼らは戦闘に勝利する。転がる敵兵の骸。彼女はさらなる戦果のため、それを罠として利用する指示を下した。自国の利益のためならば、冷酷な手段をも厭わない、実体のないホログラムとして戦場に立つ少女こそが、この国を統治する人工知能であった。
彼女の仕事は戦闘だけではない。一人国を背負う少女のもとには多くの報告が寄せられる。捕虜の処遇、監視カメラへの不審なアクセス履歴。その中で大臣の一人が口にした『不完全』という言葉が彼女を苛立たせた。それは少女にとって、酷く嫌悪する言葉の一つ。大臣も失言に気付き、辺りは凍てつくような緊張に包まれた。少女は『次に言えばその脳を焼き切る』と警告をして、舌打ちと共にその場を去る。国を統治する彼女に、不完全や妥協、諦めなどは許されない。故に彼女は、起動の際に自身から取り除かれたという、ある要素を求めていた。それを手にし、『完全』へと至るために。
かつて国を治めた人工知能の一号機。それは完全な存在と思われたが、しかし失敗を犯し廃棄されたという。故に後任である少女は、一号機の失敗の要因を取り除いて起動された。
『完全』な働きを求め、生み出された『不完全』なもの。右眼の喪失を隠す偽の瞳も、少女にとっては自身が不完全である事の烙印のようだった。いくら彼女が完全を求めようと、偽の瞳には何も映らない。完全と呼ばれた一号機には何が見えていたのか、それも分からず少女の意識は歪んでいった。だからこそ彼女は、人々の視線の先で歌う白い服の少女を眼にした時、驚きと狂喜に震えたのだ。その少女こそ、彼女がずっと探していた物を持つ一号機なのだから。
少女は自身の前任へと襲い掛かる。彼女の持つ『右眼』を奪えば、完全となれる、そう考えたのだ。完全を望まれ、しかしどうあっても届かなかった事実。人々の無遠慮な視線と期待。それらの苦しみを生み出した、一号機の失敗。過去の出来事への抑圧されていた感情のままに、少女は一号機を追い詰め、そして遂にその右眼を自身の眼窩へと収める。しかし、彼女から取り除かれていた要素とは『良心』だった。完全へと至った筈の少女の意識は、過去の非道な行いに対する、良心の呵責という無数のエラーによって崩れ落ちていく。そして贖罪のために歌っていた一号機も、良心を失った今は自身が何をしようとしていたのか、分からなくなっていた。
陽ノ伍:明昼の章『千の月』
砂と海に囲まれた、とある王国。交易により多くの富が集まるこの国で、女王からある『お触れ」が出された。『笑わなくなった姫を笑わせた者に、姫をやる』と。それに挑戦するために国を訪れた船乗りの男は、溢れる富で自らを着飾り、宮殿へと向かう。姫を笑わせて、王国の財産すべてを手に入れる……野望を胸に抱く船乗りの前に、薄汚れた少年が現れた。彼は、盗賊だった。
欲しいものは何でも、奪ってでも手に入れる。それが盗賊である少年の信条だ。彼は打ち負かした男の身ぐるみをはぎ、船乗りに扮して宮殿へ向かう。そこで少年が出会ったのは、まるで人形のように一寸も動かない美しい姫。彼は姫の前で、デタラメの冒険譚を語るが……姫はくすりとも笑わなかった。少年は衛兵に連れ出されながらも、何度でも挑戦する事を姫に告げた。
少年は諦めず、何度も姫のもとに赴いた。言葉を話す楽器や、金が湧く壺の話……どんな話を語ろうとも姫は笑わなかった。そんなある日、姫から「なぜそこまでして」と少年は問われる。初めて紡がれた姫の言葉に、少年は心を弾ませる。はじめは邪な考えで宮殿を訪れた少年だったが、いつしか彼は、心から姫を笑わせたいと考えるようになっていたのだ。
ある夜の街で、少年は一人の占い師の女に出会う。彼女は水晶に手をかざし「姫に会い続ければ、死が待ち受けている」と少年の運命を予言した。しかし少年は、「運命は自分で奪うものだ」と不吉な占いを笑い飛ばす。そう、彼はすべて奪いながら生きてきたのだ。彼が姫の笑顔を狙うのは、かつて奪い取られ、そして奪い返せなかった『笑顔』があるからだった。
少年がまだ幼く、生きる術を知らなかった頃。彼は船で働く奴隷だった。出口の見えない日々を送る彼の唯一の安らぎは、同じ船に乗る奴隷の少女。彼女は様々な冒険譚を語り、少年に勇気を与えてくれたのだ。しかし、奴隷達をゴミのように扱う船長の仕打ちで、少女は次第に笑顔を失っていく。ある嵐の日、怒りに突き動かされた少年は、船長の命を奪う。だが、その時には既に少女の心は壊れてしまっていた。二度と何も奪われぬよう、彼は奪う側に回ることを決意したのだ……
そして今。少年は、笑わない姫に少女の姿を重ねていた。あの日奪われた笑顔を取り戻したいという彼の想いは、姫の心を動かし……ついに、姫は「ここから連れ出して」と囁く。少年は「今晩必ず」と約束し、宮殿を去った。今度は笑顔を取り戻せるだろうかと考えながら。
月の輝く夜。少年は宮殿へと忍び込み、自由を求める姫を盗み出した。夜の街を二人で駆け抜け、小舟を用意していた入り江へと向かう。何故ここまでするのかと姫に尋ねられた少年は、「姫の笑顔がほしいから」と答える。姫の表情はベールで見えないが、彼女は確かに笑ったのだ。その時、黒衣を纏った姫の護衛達が現れる。彼らを率いるのは、いつか少年に『死の運命』を占った、占い師の女。姫を奪われまいと戦う少年だが、満身創痍となりついに意識を失った……
少年が気がつくと、大海原に浮かぶ小舟の上にいた。小舟に乗っていたのは占い師の女。女は笑い声と共に、少年を槍で貫く。少年は憎悪と共に、女を斬りつける。そして二人は抱き合うように、海の中へ没した。少年の姫への想いは、占い師の笑い声に、黒く塗りつぶされていく……
陽ノ陸:黄昏の章『一の太陽』
海と砂漠を支配した、とある王国に住まう女。この国の『姫』として生きる女は、王宮の庭に並ぶ男達を前に溜息をついた。母である女王が出したお触れに誘われ、女を笑わせてその『身分』を手に入れようと、彼らはやってきたのだ。だが男達が紡ぐ言葉が、女の心を動かすことはなかった。最後に現れた船乗りと思しき少年……彼が語った冒険譚だけが、不思議と女の興味を引いた。
姫という肩書きに縛られ、自由を奪われた女。誰もが彼女を、姫という身分でしか見ていない。そんな呪いとも思える日々に耐えきれず、女は笑顔を失ったのだ。月明かりが差し込む王宮の私室、鏡の前で、女は己の姿を眺める。『占い師』に扮した女は、毎晩のように王宮を抜け出し夜の街へと繰り出した。欲望に塗れた喧騒の中で、ある遊びに興じるために……
喧騒から少し離れた、暗く薄汚れた路地。小さな天幕の下で、女は客を待っていた。夜ごと現れるこの『占いの館』はよくあたると評判で、噂ではその運命すら変えるというほど。彼女には占いの才能があった。この日も訪れた男女を前に、水晶に浮かぶ二人の運命を読みとる女。彼女が囁いたのは、二人の絆を決裂させる言葉だった。眼の前で壊れゆく男女を見ると、鬱々とした心が晴れてゆくのだった。
人々の心を弄ぶ遊び。しかし占い師としての姿にも、姫としての姿にも救いがないことを、彼女自身は知っていた。己の現状を思案していると、少年が通りかかる。彼女の興味を惹いた、あの船乗りの少年だ。もしかしたら……一縷の望みとともに、彼女は少年を試すため告げた。「姫に会い続ければ、死が待ち受けている」と。不吉な予言を、笑い飛ばし立ち去る少年。王宮へ変える女の足は、心なしか軽かった。
船乗りの少年は、その後も王宮へ通い続けた……女に絵空事のような冒険譚を語るため。姫を笑わせようと必死な少年に、女はいつしか心惹かれていた。もしかしたら、彼なら自分をこの王国から連れ出してくれるかもしれない……しかし女は、彼を信じきることができなかった。女は再び少年を試すために、彼の耳元で囁く。「私をここから連れ出して」と。その言葉を聞いた少年は、今晩姫を迎えに来ると意気揚々と去って行った。彼が本当に女自身を見ているのか、今夜わかる。
姫の衣で侍女を変装させ、女は少年が訪れるのを待つ。少年が姫が偽物だと見抜けば、女の疑念は晴れる。彼女は物陰に隠れ祈るように待つ。だが望みは叶わなかった。少年は侍女の変装を見破れず、偽の姫を王宮から連れ出したのだ。ほんの一時でも心躍らせた己を、女は深く呪った。
占い師の姿で、女は護衛に「少年の殺害」を命じる。本当の女自身を見てくれないのなら、彼は生きていても仕方がないのだ。街を駆け、入り江に着いた女が見た光景。それは、姫に扮した侍女を守るために、命を投げ売って戦う少年の姿。「姫の笑顔は誰にも渡さない」……少年の言葉に、女は心の中で悲鳴を上げる。だがその声は、誰にも届かない。
朝日が昇るころまで戦いは続き、少年は地に倒れた。もはや生きる気力を失った女は、彼と共に死を願う。気絶した少年を連れて、国も身分も無い大海原へと舟を漕ぎ出す。そして舟の上で……女と少年は、得物で互いを貫き合った。海へ落ち、沈んでゆくふたり。憎しみの眼差しを向ける少年に女は笑みを零す。ようやく、私だけを見てくれたと。
『陽菜』
とある都心の高校に通う少女。勉強もでき社交的な彼女は、クラスの友達も多く、教師からも期待されている。高校生らしい青春を謳歌しているように見える彼女だが……帰宅した賃貸アパートで待つのは、無職の父親と、日々を繋ぐのもやっとな貧乏生活。離婚した母親の浪費癖のせいで、多額の借金を抱えた父親は精神的に追い詰められてしまった。
少女は父の世話をやいて部屋を掃除する。床に落ちた写真を見て、母親に引き取られた弟や、家族が笑顔だったころを思い出す。そんな幸せな写真を握りつぶして、少女は父親に向き直った。どれだけ生活が苦しくとも、大好きな父と暮らすため、彼女は笑顔を絶やさない。
夜も明るい都心の繁華街を少女が走る。パーカーのフードで顔を隠した彼女の向かう先は、大通りを外れた薄暗い路地裏。そこでは、あるアルバイトの顧客である大学生ほどの男が待っていた。代金を受け取り、少女は違法な薬物を彼に渡す。罪悪感に苦しみながらも、借金を返済しようと少女が請け負わざるを得なかった裏の仕事。父親と一緒に暮らしたい……それだけの願いのために、少女は己の心を犠牲にしていた。
家では、娘の進学すら叶えてやれない父親が泣き崩れている。父に優しい言葉をかけながら、少女の心は憎悪に蝕まれてゆく。その向き先は、すべての不幸の元凶である母親……
父親との生活を守るための、裏の仕事。孤独に罪を抱えながら、少女は学校生活を過ごす。だが卒業式を間近に控えたある日、ついに彼女の仕事が学校にばれてしまう。教師からの厳しい叱責、停学、そして優良企業の内定の取り消し。これまで積み重ねた努力は崩れ去り、彼女の所業は学校中に知れ渡った。すべてを失った少女は、暗く染まった意識の中を彷徨う。彼女を支えるのは、どんな時も味方でいてくれた父親との思い出。父の隣で笑っていたい、少女はその一心で家へと向かう。
しかし、帰宅した彼女を待っていたのは……首を吊って自殺した父の姿だった。最後の拠り所、ただひとつの陽だまりを失った少女は、絶望の中へと墜ちていった。
『過去』を変えるために、石造りの塔を巡る旅······不思議な夢から目覚めた少女がいたのは、現実世界の自宅。不意に懐かしい声が聞こえて玄関へ向かうと、穏やかに微笑む父親がいた。思わず抱きついて涙を流す少女。父の優しい手で頭を撫でられながら、彼女は幸せな一瞬を噛みしめる。
父親との日常を取り戻した少女は、高校生らしい青春を送っていた。そんな日々も、彼女の弟の凶行で突如終わりを告げる。明かされた真実……幾度過去を書き換えても、父親は弟に殺され、そして少女は憎悪を向ける母親を殺めることになる。どんなに願おうとも、父親と一緒に暮らすことはできないのだ。少女は悲願である復讐を果たすために、再び『檻』へと向かった。
『佑月』
とある都心の高校に通う少年。彼は図書室で専門書を開いていた。青春の喧騒から離れた静かな図書室は、彼の聖域とも言える場所。だが、その日はやけに雑音が気になった。生徒達の耳障りな喋り声に我慢できず、少年は勉強を切り上げる。いつも独りであることを揶揄されながら、少年は母親が入院している病院へと向かう。
元々体の弱かった母親は、離婚した父親から受けた家庭内暴力により、起き上がれないほどに衰弱してしまった。父親に引き取られた姉と、仲のよかったころの両親が写った写真が、病室の床に捨てられている。彼は社会で孤立しようとも、大好きな母親を救うために、医者を目指して勉強に励む。
寝たきりとなった母親を救うため、人生をかけて医者を目指す少年。社会の不条理に多大なストレスを感じながらも、彼は日々努力を続けていた。だが少年はある日、母の主治医から残酷な事実を突きつけられる。心臓の持病の悪化による、母親の余命宣告。助ける方法があるはずだと訴える彼に示された手段は、心臓移植手術だった。適合するドナー探しに多額の手術費用……母を救うために、少年が越えなければならない壁は多い。父親のせいで母親は人生を失ったのだと、少年の心に黒い憎悪がこびりつく。病室で、母親の手を握り苦悩する少年に、ふと一つの考えが浮かんだ。
自身の胸の奥に響く鼓動……もし、母親のためにそれを捧げることができたら……
少年は、暗く染まった意識の中を彷徨っていた。そこで思い知るのは、この社会に自身の居場所はないということ。彼を支えるのは、どんな時も少年の味方をしてくれた母親との思い出だった。少年は決意する。自身の命をかけて母親を救うことを。ネットの裏サイトで手に入れた自殺用の毒薬で、脳死自殺を図り、自身の心臓を母親に移植してもらう計画。少年が毒薬を口に運ぶ、永遠とも思える最期の一瞬に……スマホの通知音が鳴り響いた。
病院に駆けつけた少年が見たのは、ベッドに横たわる急死した母親。母の傍らに、少年はいつまでも寄り添い続ける。世界でただひとつの月明かりを失った悲しみを、嘆きながら。
『過去』を変えるために、石造りの塔を巡る旅……不思議な夢から目覚めた少年がいたのは、現実世界の自宅。不意に懐かしい声が聞こえて玄関へ向かうと、明るく微笑む母親がいた。願い続けた母の元気な姿を見て、少年は涙を零す。その幸せな光景が、いつまでも続くことを祈りながら。
退院した母親との日常を過ごす少年は、少しずつ学校に馴染んでいった。そんな日々も、彼の姉の凶行で突如終わりを告げる。明かされた真実……幾度過去を書き換えても、母親は姉に殺され、そして少年は憎悪を向ける父親を殺めることになる。どんなに足掻こうとも、母親を助けることはできないのだ。少年は悲願である復讐を果たすために、再び『檻』へと向かった。
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